ムー大陸は、古代太平洋に存在していたとされる伝説の大陸です。世界中の研究者や愛好家が議論するこの失われた大地ですが、日本でもその伝説には深い関心が寄せられています。特に、日本の古代神話や考古学的発見の中には、ムー大陸との関連性を示唆するような要素が数多く存在します。
ムー大陸とは?
ムー大陸は、19世紀末にジェームズ・チャーチワードが提唱した伝説の大陸で、1万年以上前に太平洋の中心部に存在したとされています。この大陸には高度な文明が栄え、独自の技術や文化を持っていたとされますが、巨大な地殻変動によって海中に沈んだという説が有名です。
ジェームズ・チャーチワードの著作によると、ムー大陸は約1万2000年前まで太平洋上に存在したという東西7000km、南北5000kmにもなる大陸で、現在のハワイ諸島やマリアナ諸島、 イースター島など南太平洋上に点在する島々が陸続きになっていたとされる。世界でも類を見ないほど栄華な文明を誇ったとされるが、約1万2000年前に巨大地震などの天変地異が起こり、一夜にしてムー大陸は水没したという。しかし、チャーチワード自身の身分詐称や、ムー大陸を記したとされる一次資料自体にも疑義が持たれるようになり、信憑性が低下。イースター島やポリネシアの島々を、滅亡を逃れたムー大陸の名残であるとする説もあったが、決定的な証拠となる遺跡遺物などは存在せず、海底調査でも巨大大陸が海没したことを示唆するいかなる証拠も見つかっておらず、伝説上の大陸であるとされる。
日本におけるムー大陸伝説
日本では、ムー大陸伝説が古代史や神話、考古学的な興味と結びついて語られることが多くあります。以下は、日本で注目されているムー大陸との関連性を示す要素です:
- 沖縄の海底遺跡
沖縄県与那国島の海底で発見された巨大な階段状構造物は、ムー大陸の遺跡ではないかとする説があります。この構造物は人工的に作られた可能性があり、古代文明の存在を示唆しています。 - 日本神話とムー大陸
日本神話に登場する「常世の国」や「竜宮城」は、海の彼方に存在する理想郷として描かれています。これらの記述が、ムー大陸の伝説と一致する部分があると指摘されています。 - 出土品の類似性
日本各地の遺跡から発見される模様や石器が、ムー大陸とされる伝説的な遺物に似ているという研究もあります。特に、縄文文化の独特な模様や形状がムー文明の影響を受けた可能性が議論されています。 - 地質学的な可能性
太平洋プレート周辺の地質調査により、かつて巨大な陸地が存在していた痕跡が示されています。これがムー大陸だったのではないかと考える専門家もいます。
日本でのムー大陸の紹介記事は1932年(昭和7年)8月7日の『サンデー毎日』の記事「失はれたMU(ミュウ)太平洋上秘密の扉を開く」(三好武二)をはじめ、1938年(昭和13年)7月の『神日本』2巻7号(神之日本社)の「陥没大陸ムー国」など多数紹介されていた。現在ではその名が冠された雑誌『ムー』の誌名でも知られる。
出口王仁三郎は、チャーチワードが『失われたムー大陸』(1926年、1931年)を発表する4年前の1922年(大正11年)に、『霊界物語』第9巻の総説歌で「太平洋の真中に 縦が二千と七百浬 横が三千一百浬 黄泉(よもつ)の島や」と書いて、太平洋に巨大な大陸があったと述べている(2,700海里=約5,000キロメートル、3,100海里=約5,700キロメートル)。チャーチワードは1931年の著作の中で、日本人はムー大陸住民の支配層だった白人の子孫であり、その血をかなり純粋に維持していると述べ、日本とムー大陸に接点があるとに記している。1932年(昭和7年)に大阪毎日新聞でチャーチワードのムー大陸説が報道されると、ムー大陸とは霊界物語の黄泉島(よもつじま)のことである、と述べている。ムー大陸が沈没したことも、霊界物語第12巻第27章で書いている。
古史古伝の竹内文書を紹介した1940年(昭和15年)10月刊行の『天国棟梁天皇御系図宝ノ巻き前巻・後巻』(児玉天民 太古研究会本部)で葺不合朝(ウガヤフキアエズ王朝)69代神足別豊鋤天皇の代に、「ミヨイ」と「タミアラ」という大陸(というよりも島)が陥没したとし、その世界地図が記載されている(1934年(昭和9年)5月の『大日本神皇記』(皇国日報社)では4代天之御中主神身光天皇と35代の千足媛不合10代天日身光萬國棟梁天皇の時とする。ただし「ミヨイ」や「タミアラ」の名称はない)。竹内文書では、これらの島では五色人(白人・黒人・赤人・青人・黄人)と王族の黄金人が暮らしていたが、天変地異で島が沈んだために天の岩船で日本など太平洋の沿岸域に避難したとする。「ノアの洪水」に代表される世界の大洪水は、このときの「ミヨイ」と「タミアラ」の水没の影響としている。なお、この竹内文書自体が明治から大正にかけて竹内巨麿によって創作された偽書と認識されている。
チャーチワードの論は、戦時下において、日本の起源を世界的な出来事と位置づけたいと考える一部の急進的な愛国者の間で支持された。仲小路彰や藤沢親雄、仲木貞一などによって、天皇家はムーの子孫であり、日本人こそムーの正統であるという主張がなされ、日本の天皇こそが世界における正統な支配者であるということ、また、当時の日本が委任統治していたミクロネシアなどの南洋支配の正統性を裏付ける根拠の一つとされたが、国が教育する天皇像や皇国史観から大きく逸脱しているため、同じ右翼系論壇からも批判され次第に消滅していった。
ムー大陸伝説が日本で注目される理由
ムー大陸の伝説は単なる神話ではなく、日本の考古学や地質学、文化的な研究に新たな視点を与えています。また、日本人は古代文明や失われた大地にロマンを感じやすく、こうしたテーマに対する関心が高いのも特徴です。
今後の研究と期待
近年、海底調査技術や地図データが進化したことで、ムー大陸の痕跡を発見する可能性が広がっています。特に、日本近海での調査や、与那国島の海底遺跡のさらなる解明が期待されています。
まとめ
ムー大陸伝説は、日本の古代文化や神話と密接に結びついており、多くの謎を秘めています。この失われた大地が実在したのか、そして日本との関係がどのようなものだったのか、今後の研究が待たれます。壮大なロマンを秘めたムー大陸の伝説は、これからも私たちの興味を引きつけ続けるでしょう。